2014年12月25日木曜日

12月13日 基礎演習Bグループワーク 館山調査

 皆様おはようございます。佐野充俊です。これから時間があるのでどんどんブログを更新して行くつもりです。

 今回は今月13日に基礎演習Bのグループワークで館山に調査に行ったのでその報告です。

 まず館山駅西口の館山市観光協会でレンタサイクルを借りて上須賀というところにある露頭に行きました。ここの露頭は中央を境に海側は海に向かって地層面が傾斜していますが、山側は地層面がほぼ水平となっています。
写真1 上須賀露頭海側
写真2 上須賀露頭中央部
写真3 上須賀露頭山側
 この露頭は全体的には砂層で成り立っていますが、一部に火山灰と思しきものがありました。さらに中央に石灰岩と思しきものもありました。
写真4 砂層
写真5 火山灰(?)層
写真6 石灰岩(?)層
続いて、沼というところにあるサンゴ化石(沼サンゴ層)を見に行きました。縄文時代の海面が高くなって、海岸線が内陸まで入り込んでいた時期(これを縄文海進といいます)の館山湾は現在よりも暖かい海ということがわかるものです。見るからに生きているサンゴがそのまま化石になったような感じです。
写真7 サンゴ化石
 さらにこのような説明板もありました。これによるとこのようなサンゴ化石を含む沼サンゴ層は千葉県指定天然記念物だそうです。
写真8 サンゴ化石についての説明板
 その後、海上自衛隊の基地の近くにある「旧海軍赤山地下壕」というところに行きました。ここは太平洋戦争末期に作られた防空壕で日本最大級のものですが、なんと手掘りのため、地層面が見られるというのが特徴です。実際に見たところ全体的に砂層であることからこのようなトンネルが彫りやすかったということがわかります。実際に地下壕の職員さんの話によればこの地下壕を掘るのに2000~3000人動員されたというそうです。

写真9・10 赤山地下壕の内部の地層面
 さらに地下壕の中には何と断層がありました!!「地震とかあったら断層が動いて出れなくなる可能性があるのにこんなところにつくっていいの?」と思いました。
写真11 赤山地下壕の内部の断層面
 その後、海上自衛隊の基地のへりを自転車で進んでいると偶然「鬼の洗濯板」見たいなところがありました。どうやら海の作用で侵食されたようです。

写真12・13 鬼の洗濯板
 横から見てみると地層面が海側に向かって傾斜しています。このことからこれはケスタ地形が成り立っているといえます。
写真14 海岸ケスタ地形
 岩盤は砂層や泥層が交互に重なっているようでした。


写真15〜17 岩盤上の砂層・泥層

写真18 海軍の遺したもの?
 その後、海上自衛隊の基地のヘリを通って沖ノ島という陸繋島に行きました。沖ノ島はもとは独立した島でしたが、1923年の大正関東地震(関東大震災)で近くにある高ノ島とともに隆起によって陸と繋がって陸繋島となりました。現在、沖ノ島と陸地の間には広い陸繋砂州が広がっています。
写真19 沖ノ島と陸繋砂州
 沖ノ島の陸繋砂州には風による模様が見られ、大体北西方向から南西方向に向かってその模様が見られます。これによって館山周辺は南西風が卓越していることがわかります。(行った時も南西風が強く吹いていました)
写真20 砂州の模様
沖ノ島では海岸の調査を行いました。さっそく岩石化しており、一部が侵食されている露頭がありました。満潮時の水位がような気がします。
写真21 海食を受けた露頭
さらに進むと先ほどの場所と同様の「鬼の洗濯板」のような海岸がありました。やはり地層面が海側に向かって傾斜したケスタとなっており、砂層・泥層が複雑に堆積していることがわかります。
写真22 沖ノ島の「鬼の洗濯板」
写真23 岩盤上の地層構造
そこからさらに進むと岩石海岸の間に小規模ですが、砂浜海岸がありました。こういうのをポケットビーチというそうです。

写真24・25 ポケットビーチ
 下の写真の地図のように沖ノ島は小さい陸繋島ですが、このように複雑な海岸が分布するのが特徴です。
写真26 沖ノ島の地図
 先ほど沖ノ島とともに隆起した高ノ島という島がありますが、下の写真のように周りが埋め立てられて完全に陸地上の小高い丘となっています。しかも神社があります。
写真27 高ノ島
 その後、自転車で房総フラワーラインを西へひたすら走って「休暇村館山」というところで昼食を済ませた後、その「休暇村」の近くにある見物海岸というところに行きました。ここは狭い範囲に複雑な携帯の海岸が見られる珍しい場所です。
写真28 見物海岸
 見物海岸の砂浜部分はなんと段差があるのです。これは砂浜が侵食されていることなのでしょうか…
写真29 砂浜部分の段差
見物海岸の最大の特徴は1703年の元禄関東地震でできた元禄段丘(この時の断層面を沼Ⅳ面といいます)と1923年の大正関東地震でできた大正ベンチ(波によって削られて出来た海食崖という地形が風化して海面とほぼ同レベルに形成される棚上の地形をベンチといいます)が見られることです。大正ベンチの表面には海の作用による小さな穴がいくつも空いていました。
写真30 見物海岸の海岸段丘
写真31 元禄段丘
写真32 大正ベンチ
元禄段丘の崖の部分には海の作用によって削られてできた穴や海岸線の岩石を削って出来た凹んだところがありました。現在同じようなことが大正ベンチでも起こっていることからこのような海食作用が長いあいだにわたって続いているようです。
写真33 元禄段丘の海食地形
写真34 元禄段丘の海岸線の凹み
写真35 大正ベンチの海岸線の凹み
 さらに見物海岸の近くに砂層が何重にもわたって堆積した露頭がありました。ただ、この路頭は砂層といえども、所々で小さな砕屑物(小石のかけらや火山灰などのようなものを砕屑物といいます)を含んでいました。
写真36 砕屑物がある露頭
写真37 砕屑物層の拡大
さらに道路を挟んだ向かい側にも露頭がありましたが、こちらは露頭中に泥層や火山灰層(?)があったり、傾斜が異なったりすることから、先ほどの路頭と連続性がないと思われます。(ただし、人工的な道路開発ということがあったので連続している可能性がないとは言えません)
写真38 道路向かい側の露頭
写真39 露頭を構成する地層
その後、丘陵地を縦断し、サーファーのあいだで有名な平砂浦海岸というところに出ました。平砂浦海岸は千葉県の中でも結構長い砂浜海岸です。ただ、この日は南西方向からの風が強かったので砂が砂嵐のごとく激しく僕たちに襲いかかってきました。

写真40・41 平砂浦海岸
この日は風が強かったため、海が荒れていました。下の写真もやっとのことで撮りました。冬なので少し日が低かったです。
写真42 平砂浦の海
砂丘上の植物も風の影響を受けて北東方向に傾いています。
写真43 砂丘上の植物の様子
このように風が強いため、防風林・防砂林としてクロマツが植えられています。そのため、へいさうらは「日本の白砂青松100選」に選ばれているそうです。現在もマツが枯れていることにより植林作業が行われていますが、風が強くてなかなか進んでいないようです。
写真44 植林の様子
砂丘の陸側には低木や草本類が分布していますが、こちらも風の影響により、北東側に傾いています。
写真45 変形樹
下の写真を見るとわかるのですが、砂丘の高さが非常に高く、自然状態ならばこのような高さにはならないとこの砂丘は人口砂丘だと思います。
写真46 人口砂丘(?)
その後、元来た道をたどって「渚の駅たてやま」という観光施設に行きました。屋上の展望デッキから見る夕焼けの海は館山湾の別名「鏡ヶ浦」の名のごとく美しかったです。
写真47 夕焼けの鏡ヶ浦
さらに、屋上からは富士山も見えました。友人からの指摘でやっとわかりました。
写真48 「渚の駅たてやま」からの富士山
写真49 ”PeakFinder”というiPhoneのアプリを使ってみた「渚の駅たてやま」からの富士山
 さらに館山駅に帰る途中の夕日桟橋の近くではものすごく幻想的な美しい夕富士が見られました。今度はダイヤモンド富士を見てみたいと思いました。
写真50 夕日桟橋の近くで撮った夕富士
 そして館山駅に戻って自転車を返しました。館山駅の駅舎は南欧リゾート風景観を作り出す館山市の方針に合わせて南欧風となっています。このような建築物や景観のことを人文地理学の用語でキッチュというそうです。
写真51 館山駅の駅舎
 さらに駅名標まで南欧風になっています。
写真52 館山駅の駅名標

 この調査を終えて、館山地域の海岸地形は単純に形態だけではなく、その形成要因ゆえに複雑であるということ、そのような地形と気候的要因によって自然景観が成り立っているということがわかりました。また、僕自身で自転車で走って気持ちよかったのでまた自転車で走りたい(ついでに富士山も見たい)と思いました。
 ただ、この調査で予定していたところすべてを回れなかったので今度時間があるときに回ってみたいと思います。

 今日も皆様にとって良い一日でありますように。
 そして今日はクリスマスなので皆様によって良いクリスマスでありますように。
 Merry Christmas!!












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