ラベル 自然地理学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 自然地理学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年3月11日金曜日

【あの日から5年 特別企画】8月12日 石巻訪問

 皆様おはようございます。佐野充俊でございます。
 大学の期末課題などに追われ約2か月ぶりの更新となります。

 本日3月11日であの未曽有の被害を出した東日本大震災の発生から5年の節目を迎えます。
 ここで8月12日に石巻を訪問したことを書こうと思います。

 仙台の祖母の家から仙台市地下鉄南北線と仙石東北ラインを乗り継いで石巻駅に降り立ちました。すると、駅舎の軒先に石ノ森章太郎先生の萬画『サイボーグ009』のジェット・リンクのオブジェが飾られていました。(写真1・2)
写真1 石巻駅舎
写真2 ジェット・リンクのオブジェ
 石巻市では石ノ森章太郎先生が手掛けた作品およびそのキャラクターたちによって「萬画の街・石巻」という町おこしが行われており、駅から石ノ森萬画館までの道にキャラクターのオブジェがあります。(写真3~6)
写真3 島村ジョー(『サイボーグ009』)のオブジェ
写真4 仮面ライダー(『仮面ライダー』)のオブジェ
写真5 ロボコン(『がんばれロボコン』)のオブジェ
写真6 アカレンジャー(『ゴレンジャー』)のオブジェ
石ノ森萬画館に向かって歩いていると「津波襲来の地」と書かれた石柱が建っていました。ここまで津波が来たことが書かれていました。(写真7)
写真7 津波襲来の地の石柱
先ほどのところからさらに歩いて旧北上川の近くまで来ると津波の被害を受け荒廃した商業地区の跡地に出ました。ただ瓦礫を取り除いただけという感じしかしませんでした。むき出しになった基礎が津波の威力を物語っているようでした。(写真8~14)






写真8~14 津波の被害を受け荒廃した商業地区
 ここから山側には津波に流されず現存した古い建築物がありました。調べてみると「旧東北実業銀行石巻支店」といい、1925年に建てられたそうです。考えてみるとこの建物は昭和三陸地震津波(1933年)、チリ地震津波(1960年)、そして東日本大震災による津波(2011年)の3度の大津波に耐えたのですね…(写真15)(出典:高まる文化財的価値 旧東北実業銀行石巻支店 様式は近世復興式|NEWS石巻かほく)
 写真15 旧東北実業銀行石巻支店
  その後、旧北上川を渡り、旧北上川の中州・田代島にある「石ノ森萬画館」にたどり着きました。ここは石ノ森章太郎先生が手掛けた萬画(ご本人がなされた「萬画宣言」に基づきこの表現にしています。出典:石ノ森章太郎|石ノ森WEBサイト~変身!~)や特撮作品の世界観を再現した展示が特徴です。ここも先の震災で被害を受けましたが、全国からのボランティアの皆様のご協力により、翌年春には復活を果たしました。(写真16)
写真16 石ノ森萬画館
 石ノ森萬画館を見学した後、昼食をとって日和山公園に行きました。日和山公園の頂上には鹿島御児神社という神社があり、地域の鎮守となっています。(写真17)
写真17 鹿島御児神社
 また、公園内には、先の震災の慰霊碑が立っていました。(写真18)
写真18 東日本大震災の慰霊碑
 その後、日和山公園から麓を見下ろすことにしました。公園内に震災前の写真パネルがあり、今と震災前が比較できるようになっています。僕は偶然にも2011年8月に学校の企画で石巻を訪れているので当時の写真も掲載します。(写真19〜28)
写真19 日和山から渡波方面
写真20 日和山から渡波方面の震災前写真パネル
写真21 日和山から旧北上川河口方面
写真22 日和山から旧北上川河口方面(2011年8月撮影)
上から見る限りでは4年間で瓦礫を片付けて更地にした程度のように見えます。
写真23 日和山から旧北上川河口方面の震災前写真パネル
写真24 日和山から旧北上川の対岸方面
写真25 日和山から旧北上川対岸方面の震災前写真パネル
写真26 日和山から田代島方面
写真27 日和山から田代島方面(2011年8月撮影)
 上から見る限りでは震災前とあまり様子が変わっていないように思います。
写真28 日和山から田代島方面の震災前写真パネル
 その後、日和山を下りて、震災で大きな被害を受けた門脇地区に行きました。日和山から続く階段を下りたところに「津波襲来の地」の石柱がありました。(写真29)
写真29 門脇地区の「津波襲来の地」の石柱
 先程の石柱の近くには墓地が広がっているのですが、津波の影響で墓石が倒れたり、流れたりしていて荒廃しているようでした。(写真30~32)


写真30~32 荒廃した墓地
 さらに海側に向かって歩くと、墓地と寺院ほかの建築物を除いて更地になっていました。4年前と比べると本当に瓦礫が取り除かれた程度でそれ以外は手を付けていないという印象を受けました。(写真33~37)



写真33~36 門脇地区の寺院周辺の更地
写真37 門脇地区の寺院周辺(2011年8月撮影)
 こちらの墓地も津波の影響で荒廃していました。(写真38~40)


写真38~40 荒廃した海側の墓地
 津波の影響があったせいか、あまり住宅は立っていませんでした。(写真41)
写真41 門脇地区の住宅地
周辺では道路西部以外はあまり手が付けられていませんでした。(写真42~44)


写真42~44 門脇地区の道路整備状況
 門脇地区を西に歩いて震災で大きな被害を受けた門脇小学校までやってきました。4年前に行ったときは手が付けられていませんでしたが、今回行った時には保存の為に足場が組まれていました。(写真45・46)
写真45 門脇小学校
写真46 門脇小学校(2011年8月撮影)
 門脇小学校の周辺には震災発生後に出来たと思しき墓地がありました。(写真47)
写真47 門脇小学校付近の墓地
その後、歩いて石巻駅周辺に戻りました。石巻駅前の大型商業施設の跡地に市役所が入居していました。モータリゼーションと郊外ショッピングセンターの普及で中心部の大型商業施設が衰退していることがわかります。(写真48)
写真48 石巻市役所
駅前ロータリーには「東日本大震災 復興祈念の碑」なるものが立っていました。(写真49)その後、仙石東北ライン・仙台市地下鉄南北線経由で仙台の祖母の家に帰りました。
写真49 東日本大震災復興祈念の碑

 忘れもしない5年前のあの日。
 それは僕が中学校の卒業式を終えた日の午後、家で干してあった布団を取り込んでいる最中のことでした。
 今まで経験したことがなかった大きな揺れが襲ってきて思わず外に飛び出しました。
 その後、TVで流れるニュースから自分が昔行ったことがある土地が津波の被害にあったことを知りました。
 当時の僕にとってはショックで受け入れがたいことでした。

 あの日から5年。
 僕は「あっという間に5年が経ってしまった」と思います。
 この5年の時の流れは台風が来た時の川や雲の流れのようでした。
 5年たって変わったことは地表を覆っていた瓦礫がなくなって更地になったことぐらいで生活の再建はあまり進んでいないことだと思われます。
 被災地の皆様はまだ「嵐」の中におり、常に「何が起こるかわからない」「未来の展望が全く見えない」がゆえに不安におびえていることだと思います。

 僕は地理学を専攻するにあたっていつも震災のことを忘れることはありませんでした。
 それくらい僕の人生に少なからず影響を与えた出来事なのです。
 僕は「地理学の力で何ができるか」を考えていくつもりです。
 「ともに、前へ」進んでいくために。
 
 この度の震災で亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。

 僕らが願う「明日」へ向かってともに歩んでいきましょう!!

 明日も皆様にとって良い一日でありますように。


2014年12月25日木曜日

12月13日 基礎演習Bグループワーク 館山調査

 皆様おはようございます。佐野充俊です。これから時間があるのでどんどんブログを更新して行くつもりです。

 今回は今月13日に基礎演習Bのグループワークで館山に調査に行ったのでその報告です。

 まず館山駅西口の館山市観光協会でレンタサイクルを借りて上須賀というところにある露頭に行きました。ここの露頭は中央を境に海側は海に向かって地層面が傾斜していますが、山側は地層面がほぼ水平となっています。
写真1 上須賀露頭海側
写真2 上須賀露頭中央部
写真3 上須賀露頭山側
 この露頭は全体的には砂層で成り立っていますが、一部に火山灰と思しきものがありました。さらに中央に石灰岩と思しきものもありました。
写真4 砂層
写真5 火山灰(?)層
写真6 石灰岩(?)層
続いて、沼というところにあるサンゴ化石(沼サンゴ層)を見に行きました。縄文時代の海面が高くなって、海岸線が内陸まで入り込んでいた時期(これを縄文海進といいます)の館山湾は現在よりも暖かい海ということがわかるものです。見るからに生きているサンゴがそのまま化石になったような感じです。
写真7 サンゴ化石
 さらにこのような説明板もありました。これによるとこのようなサンゴ化石を含む沼サンゴ層は千葉県指定天然記念物だそうです。
写真8 サンゴ化石についての説明板
 その後、海上自衛隊の基地の近くにある「旧海軍赤山地下壕」というところに行きました。ここは太平洋戦争末期に作られた防空壕で日本最大級のものですが、なんと手掘りのため、地層面が見られるというのが特徴です。実際に見たところ全体的に砂層であることからこのようなトンネルが彫りやすかったということがわかります。実際に地下壕の職員さんの話によればこの地下壕を掘るのに2000~3000人動員されたというそうです。

写真9・10 赤山地下壕の内部の地層面
 さらに地下壕の中には何と断層がありました!!「地震とかあったら断層が動いて出れなくなる可能性があるのにこんなところにつくっていいの?」と思いました。
写真11 赤山地下壕の内部の断層面
 その後、海上自衛隊の基地のへりを自転車で進んでいると偶然「鬼の洗濯板」見たいなところがありました。どうやら海の作用で侵食されたようです。

写真12・13 鬼の洗濯板
 横から見てみると地層面が海側に向かって傾斜しています。このことからこれはケスタ地形が成り立っているといえます。
写真14 海岸ケスタ地形
 岩盤は砂層や泥層が交互に重なっているようでした。


写真15〜17 岩盤上の砂層・泥層

写真18 海軍の遺したもの?
 その後、海上自衛隊の基地のヘリを通って沖ノ島という陸繋島に行きました。沖ノ島はもとは独立した島でしたが、1923年の大正関東地震(関東大震災)で近くにある高ノ島とともに隆起によって陸と繋がって陸繋島となりました。現在、沖ノ島と陸地の間には広い陸繋砂州が広がっています。
写真19 沖ノ島と陸繋砂州
 沖ノ島の陸繋砂州には風による模様が見られ、大体北西方向から南西方向に向かってその模様が見られます。これによって館山周辺は南西風が卓越していることがわかります。(行った時も南西風が強く吹いていました)
写真20 砂州の模様
沖ノ島では海岸の調査を行いました。さっそく岩石化しており、一部が侵食されている露頭がありました。満潮時の水位がような気がします。
写真21 海食を受けた露頭
さらに進むと先ほどの場所と同様の「鬼の洗濯板」のような海岸がありました。やはり地層面が海側に向かって傾斜したケスタとなっており、砂層・泥層が複雑に堆積していることがわかります。
写真22 沖ノ島の「鬼の洗濯板」
写真23 岩盤上の地層構造
そこからさらに進むと岩石海岸の間に小規模ですが、砂浜海岸がありました。こういうのをポケットビーチというそうです。

写真24・25 ポケットビーチ
 下の写真の地図のように沖ノ島は小さい陸繋島ですが、このように複雑な海岸が分布するのが特徴です。
写真26 沖ノ島の地図
 先ほど沖ノ島とともに隆起した高ノ島という島がありますが、下の写真のように周りが埋め立てられて完全に陸地上の小高い丘となっています。しかも神社があります。
写真27 高ノ島
 その後、自転車で房総フラワーラインを西へひたすら走って「休暇村館山」というところで昼食を済ませた後、その「休暇村」の近くにある見物海岸というところに行きました。ここは狭い範囲に複雑な携帯の海岸が見られる珍しい場所です。
写真28 見物海岸
 見物海岸の砂浜部分はなんと段差があるのです。これは砂浜が侵食されていることなのでしょうか…
写真29 砂浜部分の段差
見物海岸の最大の特徴は1703年の元禄関東地震でできた元禄段丘(この時の断層面を沼Ⅳ面といいます)と1923年の大正関東地震でできた大正ベンチ(波によって削られて出来た海食崖という地形が風化して海面とほぼ同レベルに形成される棚上の地形をベンチといいます)が見られることです。大正ベンチの表面には海の作用による小さな穴がいくつも空いていました。
写真30 見物海岸の海岸段丘
写真31 元禄段丘
写真32 大正ベンチ
元禄段丘の崖の部分には海の作用によって削られてできた穴や海岸線の岩石を削って出来た凹んだところがありました。現在同じようなことが大正ベンチでも起こっていることからこのような海食作用が長いあいだにわたって続いているようです。
写真33 元禄段丘の海食地形
写真34 元禄段丘の海岸線の凹み
写真35 大正ベンチの海岸線の凹み
 さらに見物海岸の近くに砂層が何重にもわたって堆積した露頭がありました。ただ、この路頭は砂層といえども、所々で小さな砕屑物(小石のかけらや火山灰などのようなものを砕屑物といいます)を含んでいました。
写真36 砕屑物がある露頭
写真37 砕屑物層の拡大
さらに道路を挟んだ向かい側にも露頭がありましたが、こちらは露頭中に泥層や火山灰層(?)があったり、傾斜が異なったりすることから、先ほどの路頭と連続性がないと思われます。(ただし、人工的な道路開発ということがあったので連続している可能性がないとは言えません)
写真38 道路向かい側の露頭
写真39 露頭を構成する地層
その後、丘陵地を縦断し、サーファーのあいだで有名な平砂浦海岸というところに出ました。平砂浦海岸は千葉県の中でも結構長い砂浜海岸です。ただ、この日は南西方向からの風が強かったので砂が砂嵐のごとく激しく僕たちに襲いかかってきました。

写真40・41 平砂浦海岸
この日は風が強かったため、海が荒れていました。下の写真もやっとのことで撮りました。冬なので少し日が低かったです。
写真42 平砂浦の海
砂丘上の植物も風の影響を受けて北東方向に傾いています。
写真43 砂丘上の植物の様子
このように風が強いため、防風林・防砂林としてクロマツが植えられています。そのため、へいさうらは「日本の白砂青松100選」に選ばれているそうです。現在もマツが枯れていることにより植林作業が行われていますが、風が強くてなかなか進んでいないようです。
写真44 植林の様子
砂丘の陸側には低木や草本類が分布していますが、こちらも風の影響により、北東側に傾いています。
写真45 変形樹
下の写真を見るとわかるのですが、砂丘の高さが非常に高く、自然状態ならばこのような高さにはならないとこの砂丘は人口砂丘だと思います。
写真46 人口砂丘(?)
その後、元来た道をたどって「渚の駅たてやま」という観光施設に行きました。屋上の展望デッキから見る夕焼けの海は館山湾の別名「鏡ヶ浦」の名のごとく美しかったです。
写真47 夕焼けの鏡ヶ浦
さらに、屋上からは富士山も見えました。友人からの指摘でやっとわかりました。
写真48 「渚の駅たてやま」からの富士山
写真49 ”PeakFinder”というiPhoneのアプリを使ってみた「渚の駅たてやま」からの富士山
 さらに館山駅に帰る途中の夕日桟橋の近くではものすごく幻想的な美しい夕富士が見られました。今度はダイヤモンド富士を見てみたいと思いました。
写真50 夕日桟橋の近くで撮った夕富士
 そして館山駅に戻って自転車を返しました。館山駅の駅舎は南欧リゾート風景観を作り出す館山市の方針に合わせて南欧風となっています。このような建築物や景観のことを人文地理学の用語でキッチュというそうです。
写真51 館山駅の駅舎
 さらに駅名標まで南欧風になっています。
写真52 館山駅の駅名標

 この調査を終えて、館山地域の海岸地形は単純に形態だけではなく、その形成要因ゆえに複雑であるということ、そのような地形と気候的要因によって自然景観が成り立っているということがわかりました。また、僕自身で自転車で走って気持ちよかったのでまた自転車で走りたい(ついでに富士山も見たい)と思いました。
 ただ、この調査で予定していたところすべてを回れなかったので今度時間があるときに回ってみたいと思います。

 今日も皆様にとって良い一日でありますように。
 そして今日はクリスマスなので皆様によって良いクリスマスでありますように。
 Merry Christmas!!