2014年12月31日水曜日

2014年を終えるに当たって

 皆様こんばんは。佐野充俊です。
 今年もあと20分を切りましたね。
 2014年という年は皆様にとってどのような年であったでしょうか?僕は1月の受験に始まり、3月の高校卒業、4月の大学入学など変化が多い一年でした。まさに激動の一年でした。自分に変化が多く、初めてのことで戸惑うことがありましたが、無事乗り越えることができました。
 皆様は来たる2015年をどのような年にしたいですか?僕は今年できなかったこともあるので今年よりも色々なことにおいて充実した一年にしたいと思います。
 今日もあと少しになりましたが今日も良い一日でありますように。
 そして来年も良い一年でありますように。
 今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
 良いお年をお迎えください‼︎

2014年12月29日月曜日

【車窓富士】12月13日 内房線からの車窓富士

 皆様こんにちは。佐野充俊です。今年も残すところあと3日ですね。時が経つのも早いものです。
 
 今回の内容は今月13日の館山調査に行くときに内房線の車窓から富士山を見た話です。
 
 内房線は千葉市中央区の蘇我駅から東京湾沿いに市原市、袖ケ浦市、木更津市、君津市、富津市、鋸南町、南房総市を通って館山市の館山駅で向きを南から東に変え、南房総市の千倉駅から今度は太平洋沿いに進み、鴨川市の安房鴨川駅まで結ぶ全長119.4kmの路線です。東京湾に沿って進むことから大貫~館山間では富士山が見られ、特に佐貫町以南では東京湾越しに富士山が見られます。とても綺麗なので是非とも内房線に乗って館山方面に行く際は是非とも進行方向右側の車窓から富士山を眺めてみてはいかがでしょうか。

 ここではいくつかのポイントごとに分けて説明したいと思います。撮影したポイントを地図上に赤丸で表示しています。
 ①佐貫町~上総湊間
 内房線は佐貫町駅を発車すると東京湾の海岸沿いに沿って進みます。この区間の右車窓から富士山が見えます。この区間はトンネルが多く、うまく海と絡めて写真を撮るのは難しいところです。そのため、僕が撮った写真も架線柱とはしごのあいだに富士山が入る形となってしまいました…今度行く機会があったら再チャレンジしたいです。
写真1 佐貫町~上総湊間の右車窓から撮った富士山
地図1 佐貫町~上総湊間の地図(地理院地図から縮尺1:25,000で作成、29Dec2014に取得)
 ②上総湊~竹岡間
 内房線は上総湊駅を発車すると湊川という川をわたります。この川を渡る直前に右車窓富士山が見えます。ここから富士山を取ると湊漁港を絡めた構図となります。
写真2 上総湊~竹岡間の右車窓から撮った湊漁港と富士山
 さらに湊川をわたってトンネルをくぐると内房線は国道127号線と海岸線に並行して走るようになります。この時に右車窓から東京湾と三浦湾越しに富士山が見られます。ただ、手前にかかっている電線が非常に邪魔です。何とかして欲しいですね。
写真3 上総湊~竹岡間の右車窓から撮った富士山と三浦半島
地図2 上総湊~竹岡間の地図(地理院地図から縮尺1:25,000で作成、29Dec2014に取得)
 ③竹岡~浜金谷間
 内房線は竹岡駅を発車すると、国道127号線とともに東京湾に沿って走ります。トンネルに入る直前に、右車窓から東京湾と三浦半島越しに富士山が見られます。なお、写真に写っている煙突は対岸の横須賀市久里浜にある東京電力横須賀火力発電所のようです。この場所は邪魔となる電線がなく綺麗に撮れますが、運悪くこの写真には位置情報が入っていません。今度撮る時は位置情報を入れようと思います。
写真4 竹岡~浜金谷間の右車窓から撮った富士山と横須賀火力発電所
 この区間では海沿いの区間はほぼ富士山が見えます。しかし、先ほどの場所を除くと、ほとんどの場所で電線が手前に入ってきます。せっかくの車窓富士が台無しです…
写真5 竹岡~浜金谷間の右車窓から撮った三浦半島と富士山
地図3 竹岡~浜金谷間の地図(地理院地図から縮尺1:25,000で作成、29Dec2014に取得)
 ④岩井~富浦間
 内房線は安房勝山駅付近から海岸線から少し内陸側に入ったところを走ります。岩井駅を発車すると、南西方向に向かって大きくカーブし、築堤(盛土)の上を走ります。この地点で右車窓から富士山が見えます。ここは正面に富士山が見える場所であり、電線も富士山にかからないので海と住宅を絡めて綺麗な富士山を取ることができる僕としてもオススメの場所です。
写真6 岩井~富浦間の右車窓からとった富士山
地図4 岩井~富浦間の地図(地理院地図から縮尺1:25,000で作成、29Dec2014に取得)

 今回内房線の車窓から富士山を撮ってみて車窓富士は千葉県でも楽しめることがわかりました。ただ、今回は綺麗に写らなかったので是非再チャレンジしたいと思います。さらに、26日に京葉線に乗った時に蘇我~千葉みなと間で富士山が見えたので京葉線でも車窓富士に挑戦したいと思います。また上総湊駅は駅のホームから、館山駅はコンコースから富士山が見える可能性があるので是非とも行ってみたいと思います。
 
 このことを僕の地図学の先生に話してみたら、「内房線は行ってみたいとおもっているんだよねぇ。」とおっしゃったので実際に行ってこられてホームページにまとめたそうです。先生によりますと、内房線で富士山は本千葉(千葉市中央区)~南三原(南房総市)間で見られるそうで、さらに外房線でも見られるところがあるそうです。このページを見て、「千葉市からも車窓富士ができるんだ」と思いました。先生はもう長い間富士山を撮っていらっしゃるようでこちらのほうが綺麗に写っています。やはり富士山の写真の腕は先生には及びません。また、富士山が見える駅も僕の思っている以上にあるようなのでさらに行ってみたいと思いました。(詳しくはこちらです。内房線からの車窓富士 田代博のホームページ)

 本日も午後になってしまいましたが、今日も皆様にとって良い一日でありますように。





2014年12月27日土曜日

【車窓富士】12月2日 中央線からの車窓富士

 皆様こんにちは。佐野充俊です。今年も早いものであと5日です。とにかく更新に更新を重ねていく(?)所存です。

 僕は最近山岳展望にはまっており、時間があるときは実際に見に行っています。僕は千葉に住んでいるということで富士山展望が多いです。

 12月2日に中央線の115系を見に行くために、高尾駅に行く途中、中野を過ぎたあたりから進行方向左側の車窓にひときわ高い山が見えました。もしかしたら富士山かもしれないと思ってコンパクトデジカメズームで見たら本当に富士山でした。しかし、ビル群が多くてうまい写真がなかなか撮れませんでいた。しかし、国立と立川の間でシャッターを切ったらうまく撮れました。当時富士山には頂上に不思議な雲がかかっていました。
写真1 国立~立川間の左車窓から見えた富士山
 地図に示すと以下のようになります。地図上の赤丸の地点で撮りました。国立~立川間のほぼ中間地点と思われるところで撮ったようです。
地図1 国立~立川間の地図(地理院地図から縮尺1:25,000で作成、27Dec2014に取得)
 
 この時は雲がかかっている姿で撮ったので今度行くときは雲のない姿で撮りたいと思いました。

 僕の地図学の先生が富士山展望の研究家であり、なんと中央線からの車窓富士をまとめたものがあるので是非とも参考にしてみてください。これによると新宿~八王子間(写真があるのは大久保~国分寺間)で富士山が見えるということです。国立~立川間の写真は無かったので、僕はホームページにないところで偶然とったということになります。(中央線からの車窓富士 田代博のホームページ)さらに先生の著書『知って楽しい山岳展望』(新日本出版社2007年)によると初狩付近、小淵沢付近、下諏訪~岡谷間でも富士山が見られるそうです。
 
 今度時間があったら中央線から富士山を眺めに西の方へ行きたいと思います。

 今日も皆様にとって良い一日でありますように。

2014年12月25日木曜日

12月13日 基礎演習Bグループワーク 館山調査

 皆様おはようございます。佐野充俊です。これから時間があるのでどんどんブログを更新して行くつもりです。

 今回は今月13日に基礎演習Bのグループワークで館山に調査に行ったのでその報告です。

 まず館山駅西口の館山市観光協会でレンタサイクルを借りて上須賀というところにある露頭に行きました。ここの露頭は中央を境に海側は海に向かって地層面が傾斜していますが、山側は地層面がほぼ水平となっています。
写真1 上須賀露頭海側
写真2 上須賀露頭中央部
写真3 上須賀露頭山側
 この露頭は全体的には砂層で成り立っていますが、一部に火山灰と思しきものがありました。さらに中央に石灰岩と思しきものもありました。
写真4 砂層
写真5 火山灰(?)層
写真6 石灰岩(?)層
続いて、沼というところにあるサンゴ化石(沼サンゴ層)を見に行きました。縄文時代の海面が高くなって、海岸線が内陸まで入り込んでいた時期(これを縄文海進といいます)の館山湾は現在よりも暖かい海ということがわかるものです。見るからに生きているサンゴがそのまま化石になったような感じです。
写真7 サンゴ化石
 さらにこのような説明板もありました。これによるとこのようなサンゴ化石を含む沼サンゴ層は千葉県指定天然記念物だそうです。
写真8 サンゴ化石についての説明板
 その後、海上自衛隊の基地の近くにある「旧海軍赤山地下壕」というところに行きました。ここは太平洋戦争末期に作られた防空壕で日本最大級のものですが、なんと手掘りのため、地層面が見られるというのが特徴です。実際に見たところ全体的に砂層であることからこのようなトンネルが彫りやすかったということがわかります。実際に地下壕の職員さんの話によればこの地下壕を掘るのに2000~3000人動員されたというそうです。

写真9・10 赤山地下壕の内部の地層面
 さらに地下壕の中には何と断層がありました!!「地震とかあったら断層が動いて出れなくなる可能性があるのにこんなところにつくっていいの?」と思いました。
写真11 赤山地下壕の内部の断層面
 その後、海上自衛隊の基地のへりを自転車で進んでいると偶然「鬼の洗濯板」見たいなところがありました。どうやら海の作用で侵食されたようです。

写真12・13 鬼の洗濯板
 横から見てみると地層面が海側に向かって傾斜しています。このことからこれはケスタ地形が成り立っているといえます。
写真14 海岸ケスタ地形
 岩盤は砂層や泥層が交互に重なっているようでした。


写真15〜17 岩盤上の砂層・泥層

写真18 海軍の遺したもの?
 その後、海上自衛隊の基地のヘリを通って沖ノ島という陸繋島に行きました。沖ノ島はもとは独立した島でしたが、1923年の大正関東地震(関東大震災)で近くにある高ノ島とともに隆起によって陸と繋がって陸繋島となりました。現在、沖ノ島と陸地の間には広い陸繋砂州が広がっています。
写真19 沖ノ島と陸繋砂州
 沖ノ島の陸繋砂州には風による模様が見られ、大体北西方向から南西方向に向かってその模様が見られます。これによって館山周辺は南西風が卓越していることがわかります。(行った時も南西風が強く吹いていました)
写真20 砂州の模様
沖ノ島では海岸の調査を行いました。さっそく岩石化しており、一部が侵食されている露頭がありました。満潮時の水位がような気がします。
写真21 海食を受けた露頭
さらに進むと先ほどの場所と同様の「鬼の洗濯板」のような海岸がありました。やはり地層面が海側に向かって傾斜したケスタとなっており、砂層・泥層が複雑に堆積していることがわかります。
写真22 沖ノ島の「鬼の洗濯板」
写真23 岩盤上の地層構造
そこからさらに進むと岩石海岸の間に小規模ですが、砂浜海岸がありました。こういうのをポケットビーチというそうです。

写真24・25 ポケットビーチ
 下の写真の地図のように沖ノ島は小さい陸繋島ですが、このように複雑な海岸が分布するのが特徴です。
写真26 沖ノ島の地図
 先ほど沖ノ島とともに隆起した高ノ島という島がありますが、下の写真のように周りが埋め立てられて完全に陸地上の小高い丘となっています。しかも神社があります。
写真27 高ノ島
 その後、自転車で房総フラワーラインを西へひたすら走って「休暇村館山」というところで昼食を済ませた後、その「休暇村」の近くにある見物海岸というところに行きました。ここは狭い範囲に複雑な携帯の海岸が見られる珍しい場所です。
写真28 見物海岸
 見物海岸の砂浜部分はなんと段差があるのです。これは砂浜が侵食されていることなのでしょうか…
写真29 砂浜部分の段差
見物海岸の最大の特徴は1703年の元禄関東地震でできた元禄段丘(この時の断層面を沼Ⅳ面といいます)と1923年の大正関東地震でできた大正ベンチ(波によって削られて出来た海食崖という地形が風化して海面とほぼ同レベルに形成される棚上の地形をベンチといいます)が見られることです。大正ベンチの表面には海の作用による小さな穴がいくつも空いていました。
写真30 見物海岸の海岸段丘
写真31 元禄段丘
写真32 大正ベンチ
元禄段丘の崖の部分には海の作用によって削られてできた穴や海岸線の岩石を削って出来た凹んだところがありました。現在同じようなことが大正ベンチでも起こっていることからこのような海食作用が長いあいだにわたって続いているようです。
写真33 元禄段丘の海食地形
写真34 元禄段丘の海岸線の凹み
写真35 大正ベンチの海岸線の凹み
 さらに見物海岸の近くに砂層が何重にもわたって堆積した露頭がありました。ただ、この路頭は砂層といえども、所々で小さな砕屑物(小石のかけらや火山灰などのようなものを砕屑物といいます)を含んでいました。
写真36 砕屑物がある露頭
写真37 砕屑物層の拡大
さらに道路を挟んだ向かい側にも露頭がありましたが、こちらは露頭中に泥層や火山灰層(?)があったり、傾斜が異なったりすることから、先ほどの路頭と連続性がないと思われます。(ただし、人工的な道路開発ということがあったので連続している可能性がないとは言えません)
写真38 道路向かい側の露頭
写真39 露頭を構成する地層
その後、丘陵地を縦断し、サーファーのあいだで有名な平砂浦海岸というところに出ました。平砂浦海岸は千葉県の中でも結構長い砂浜海岸です。ただ、この日は南西方向からの風が強かったので砂が砂嵐のごとく激しく僕たちに襲いかかってきました。

写真40・41 平砂浦海岸
この日は風が強かったため、海が荒れていました。下の写真もやっとのことで撮りました。冬なので少し日が低かったです。
写真42 平砂浦の海
砂丘上の植物も風の影響を受けて北東方向に傾いています。
写真43 砂丘上の植物の様子
このように風が強いため、防風林・防砂林としてクロマツが植えられています。そのため、へいさうらは「日本の白砂青松100選」に選ばれているそうです。現在もマツが枯れていることにより植林作業が行われていますが、風が強くてなかなか進んでいないようです。
写真44 植林の様子
砂丘の陸側には低木や草本類が分布していますが、こちらも風の影響により、北東側に傾いています。
写真45 変形樹
下の写真を見るとわかるのですが、砂丘の高さが非常に高く、自然状態ならばこのような高さにはならないとこの砂丘は人口砂丘だと思います。
写真46 人口砂丘(?)
その後、元来た道をたどって「渚の駅たてやま」という観光施設に行きました。屋上の展望デッキから見る夕焼けの海は館山湾の別名「鏡ヶ浦」の名のごとく美しかったです。
写真47 夕焼けの鏡ヶ浦
さらに、屋上からは富士山も見えました。友人からの指摘でやっとわかりました。
写真48 「渚の駅たてやま」からの富士山
写真49 ”PeakFinder”というiPhoneのアプリを使ってみた「渚の駅たてやま」からの富士山
 さらに館山駅に帰る途中の夕日桟橋の近くではものすごく幻想的な美しい夕富士が見られました。今度はダイヤモンド富士を見てみたいと思いました。
写真50 夕日桟橋の近くで撮った夕富士
 そして館山駅に戻って自転車を返しました。館山駅の駅舎は南欧リゾート風景観を作り出す館山市の方針に合わせて南欧風となっています。このような建築物や景観のことを人文地理学の用語でキッチュというそうです。
写真51 館山駅の駅舎
 さらに駅名標まで南欧風になっています。
写真52 館山駅の駅名標

 この調査を終えて、館山地域の海岸地形は単純に形態だけではなく、その形成要因ゆえに複雑であるということ、そのような地形と気候的要因によって自然景観が成り立っているということがわかりました。また、僕自身で自転車で走って気持ちよかったのでまた自転車で走りたい(ついでに富士山も見たい)と思いました。
 ただ、この調査で予定していたところすべてを回れなかったので今度時間があるときに回ってみたいと思います。

 今日も皆様にとって良い一日でありますように。
 そして今日はクリスマスなので皆様によって良いクリスマスでありますように。
 Merry Christmas!!