2016年3月23日水曜日

【ダイヤ改正前最後の休日】3月21日 土休日日中の急行相模大野行きを撮る

 皆様こんばんは。佐野充俊でございます。
 約2週間ぶりの更新となります。更新のペースが全く上がりません。

 一昨日渋谷に行く用事があったのでダイヤ改正前最後の休日ということで行きがけの駄賃に土休日ダイヤにおいて日中に設定されている急行相模大野行を撮りに経堂駅に撮影に行ってまいりました。

 経堂には急行相模大野行到着の40分前についたので様々な珍しい列車を撮ることが出来ました。
 下りホーム新宿方でカメラを構えていると4061Fの各停本厚木行が新宿方から急行線を回送されて入線しました。8両編成までしかホーム長さがない駅があるので新宿から回送されて経堂始発という形を取っています。(写真1)また、普段よく見る「各停 本厚木」の行先表示も4000形で見るのは大変珍しいことです。(写真2)
写真1 小田急4061Fの各停本厚木行
写真2 4061Fの「各停 本厚木」の行先表示
その後も練習がてら写真撮影を続けました。(写真3~11)今度のダイヤ改正で向ヶ丘遊園停車の急行に変わる千代田線からの多摩急行(写真5・6)やこの駅で急行線から緩行線に転線する回送列車(写真10)、複々線名物の並走(写真11)を撮ることが出来ました。
写真3 小田急1091Fの急行小田原行
写真4 ロマンスカーMSEの特急あさぎり3号御殿場行
写真5 メトロ6122Fの多摩急行唐木田行
写真6 6122Fの「多摩急行 唐木田」の行先表示
写真7 小田急8264F+8064Fの快速急行藤沢行

写真8・9 小田急3265F+1057Fの急行小田原行
写真10 小田急8258F+8058Fの回送列車
写真11 ロマンスカーEXEの特急はこね19号箱根湯本行きと小田急3654Fの各停本厚木行きの並走
こうして時間が経って、お目当てだった急行相模大野行がやってきました。土休日ダイヤで日中時間帯に毎時1本新宿発の急行相模大野行が設定されていましたが、今週末26日のダイヤ改正で設定が無くなります。まさかこんなにも早くなくなるとは思っていなかったのであまり写真を撮っていませんでしたが、無くなる前に撮ってよかったと思いました。(写真12・13)この列車を撮った後、渋谷に向かいました。
写真12 小田急1092F
写真13 1092Fの「急行 相模大野」の行先表示

 3月ダイヤ改正で小田急線は大きく運転パターンが変わり、無くなる列車が多く、撮り収めをする人が多いことだと思います。くれぐれも撮影する際には安全に気を付けるようにしていただきたいと思います。

 明日も皆様にとって良い一日でありますように。

2016年3月11日金曜日

【あの日から5年 特別企画】8月12日 石巻訪問

 皆様おはようございます。佐野充俊でございます。
 大学の期末課題などに追われ約2か月ぶりの更新となります。

 本日3月11日であの未曽有の被害を出した東日本大震災の発生から5年の節目を迎えます。
 ここで8月12日に石巻を訪問したことを書こうと思います。

 仙台の祖母の家から仙台市地下鉄南北線と仙石東北ラインを乗り継いで石巻駅に降り立ちました。すると、駅舎の軒先に石ノ森章太郎先生の萬画『サイボーグ009』のジェット・リンクのオブジェが飾られていました。(写真1・2)
写真1 石巻駅舎
写真2 ジェット・リンクのオブジェ
 石巻市では石ノ森章太郎先生が手掛けた作品およびそのキャラクターたちによって「萬画の街・石巻」という町おこしが行われており、駅から石ノ森萬画館までの道にキャラクターのオブジェがあります。(写真3~6)
写真3 島村ジョー(『サイボーグ009』)のオブジェ
写真4 仮面ライダー(『仮面ライダー』)のオブジェ
写真5 ロボコン(『がんばれロボコン』)のオブジェ
写真6 アカレンジャー(『ゴレンジャー』)のオブジェ
石ノ森萬画館に向かって歩いていると「津波襲来の地」と書かれた石柱が建っていました。ここまで津波が来たことが書かれていました。(写真7)
写真7 津波襲来の地の石柱
先ほどのところからさらに歩いて旧北上川の近くまで来ると津波の被害を受け荒廃した商業地区の跡地に出ました。ただ瓦礫を取り除いただけという感じしかしませんでした。むき出しになった基礎が津波の威力を物語っているようでした。(写真8~14)






写真8~14 津波の被害を受け荒廃した商業地区
 ここから山側には津波に流されず現存した古い建築物がありました。調べてみると「旧東北実業銀行石巻支店」といい、1925年に建てられたそうです。考えてみるとこの建物は昭和三陸地震津波(1933年)、チリ地震津波(1960年)、そして東日本大震災による津波(2011年)の3度の大津波に耐えたのですね…(写真15)(出典:高まる文化財的価値 旧東北実業銀行石巻支店 様式は近世復興式|NEWS石巻かほく)
 写真15 旧東北実業銀行石巻支店
  その後、旧北上川を渡り、旧北上川の中州・田代島にある「石ノ森萬画館」にたどり着きました。ここは石ノ森章太郎先生が手掛けた萬画(ご本人がなされた「萬画宣言」に基づきこの表現にしています。出典:石ノ森章太郎|石ノ森WEBサイト~変身!~)や特撮作品の世界観を再現した展示が特徴です。ここも先の震災で被害を受けましたが、全国からのボランティアの皆様のご協力により、翌年春には復活を果たしました。(写真16)
写真16 石ノ森萬画館
 石ノ森萬画館を見学した後、昼食をとって日和山公園に行きました。日和山公園の頂上には鹿島御児神社という神社があり、地域の鎮守となっています。(写真17)
写真17 鹿島御児神社
 また、公園内には、先の震災の慰霊碑が立っていました。(写真18)
写真18 東日本大震災の慰霊碑
 その後、日和山公園から麓を見下ろすことにしました。公園内に震災前の写真パネルがあり、今と震災前が比較できるようになっています。僕は偶然にも2011年8月に学校の企画で石巻を訪れているので当時の写真も掲載します。(写真19〜28)
写真19 日和山から渡波方面
写真20 日和山から渡波方面の震災前写真パネル
写真21 日和山から旧北上川河口方面
写真22 日和山から旧北上川河口方面(2011年8月撮影)
上から見る限りでは4年間で瓦礫を片付けて更地にした程度のように見えます。
写真23 日和山から旧北上川河口方面の震災前写真パネル
写真24 日和山から旧北上川の対岸方面
写真25 日和山から旧北上川対岸方面の震災前写真パネル
写真26 日和山から田代島方面
写真27 日和山から田代島方面(2011年8月撮影)
 上から見る限りでは震災前とあまり様子が変わっていないように思います。
写真28 日和山から田代島方面の震災前写真パネル
 その後、日和山を下りて、震災で大きな被害を受けた門脇地区に行きました。日和山から続く階段を下りたところに「津波襲来の地」の石柱がありました。(写真29)
写真29 門脇地区の「津波襲来の地」の石柱
 先程の石柱の近くには墓地が広がっているのですが、津波の影響で墓石が倒れたり、流れたりしていて荒廃しているようでした。(写真30~32)


写真30~32 荒廃した墓地
 さらに海側に向かって歩くと、墓地と寺院ほかの建築物を除いて更地になっていました。4年前と比べると本当に瓦礫が取り除かれた程度でそれ以外は手を付けていないという印象を受けました。(写真33~37)



写真33~36 門脇地区の寺院周辺の更地
写真37 門脇地区の寺院周辺(2011年8月撮影)
 こちらの墓地も津波の影響で荒廃していました。(写真38~40)


写真38~40 荒廃した海側の墓地
 津波の影響があったせいか、あまり住宅は立っていませんでした。(写真41)
写真41 門脇地区の住宅地
周辺では道路西部以外はあまり手が付けられていませんでした。(写真42~44)


写真42~44 門脇地区の道路整備状況
 門脇地区を西に歩いて震災で大きな被害を受けた門脇小学校までやってきました。4年前に行ったときは手が付けられていませんでしたが、今回行った時には保存の為に足場が組まれていました。(写真45・46)
写真45 門脇小学校
写真46 門脇小学校(2011年8月撮影)
 門脇小学校の周辺には震災発生後に出来たと思しき墓地がありました。(写真47)
写真47 門脇小学校付近の墓地
その後、歩いて石巻駅周辺に戻りました。石巻駅前の大型商業施設の跡地に市役所が入居していました。モータリゼーションと郊外ショッピングセンターの普及で中心部の大型商業施設が衰退していることがわかります。(写真48)
写真48 石巻市役所
駅前ロータリーには「東日本大震災 復興祈念の碑」なるものが立っていました。(写真49)その後、仙石東北ライン・仙台市地下鉄南北線経由で仙台の祖母の家に帰りました。
写真49 東日本大震災復興祈念の碑

 忘れもしない5年前のあの日。
 それは僕が中学校の卒業式を終えた日の午後、家で干してあった布団を取り込んでいる最中のことでした。
 今まで経験したことがなかった大きな揺れが襲ってきて思わず外に飛び出しました。
 その後、TVで流れるニュースから自分が昔行ったことがある土地が津波の被害にあったことを知りました。
 当時の僕にとってはショックで受け入れがたいことでした。

 あの日から5年。
 僕は「あっという間に5年が経ってしまった」と思います。
 この5年の時の流れは台風が来た時の川や雲の流れのようでした。
 5年たって変わったことは地表を覆っていた瓦礫がなくなって更地になったことぐらいで生活の再建はあまり進んでいないことだと思われます。
 被災地の皆様はまだ「嵐」の中におり、常に「何が起こるかわからない」「未来の展望が全く見えない」がゆえに不安におびえていることだと思います。

 僕は地理学を専攻するにあたっていつも震災のことを忘れることはありませんでした。
 それくらい僕の人生に少なからず影響を与えた出来事なのです。
 僕は「地理学の力で何ができるか」を考えていくつもりです。
 「ともに、前へ」進んでいくために。
 
 この度の震災で亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。

 僕らが願う「明日」へ向かってともに歩んでいきましょう!!

 明日も皆様にとって良い一日でありますように。